しゃぼん玉 映画 感想

しゃぼん玉を見ました。 劇的なbgmもないしアドレナリン出まくりな映像表現もありません。 その分余白で伝わるものが多い静かに心に刺さる映画です。 いい意味で邦画感が強い作品。 なにより宮崎の山奥の風景が美しすぎて、それを見るだけでもなんだか癒されていく。 劇的なBGMもないしアドレナリン出まくりな映像表現もありません。その分余白で伝わるものが多い静かに心に刺さる映画です。いい意味で邦画感が強い作品。なにより宮崎の山奥の風景が美しすぎて、それを見るだけでもなんだか癒されていく。ああ、山行きたいなぁ。(山の場面はリアル「もののけ姫」みたいな風景です) 父親は若い女性と不倫して出ていき母と離婚、母親も男性と弟を連れて出ていく。その後心理的にずーっと一人ぼっちで生きてきた林遣都演じるイズミ。自分より弱い者からひったくりでお金を奪い、自分の人生を諦めていた。親からまっとうな愛情を注がれなかったゆえに非行に走った少年の更生には「育て直し」という疑似家族からの愛情を感じる体験が必要だと昔何かの本で読んだ。まさにイズミとスマは疑似家族。親からは言われたことのないであろう言葉をスマはくれ、おにぎりを作り、服を用意し、イズミの心に変化が訪れるまでただ穏やかに待っていてくれた。「育て直し」はイズミからみた視点だけではない。自分の子供に本当にしてあげなければならなかったことを他人のイズミにすることで、スマ自身の心も癒しているのではと思う。スマも一人で暮らし、息子夫婦は離婚。孫にも会っていない。(村の人々とのあたたかなつながりはあったけれど)親が何よりも子供にしなければならないのは、態度・言葉により信頼を伝え続けること=存在の肯定だと個人的には思っている。「都会へなんてやらなければよかった。お前は手元に置いておかないといけなかった」のようなセリフをスマが息子へ言うシーン。本当は手元に置いておくとかそういう問題ではなかったと、スマ・息子ともに分かっているのではないでしょうか。スマの息子も心に穴が空いているのでしょう。スマがどのように息子に接してきたかという描写は少ないですが、後悔が深いからこそのイズミへのあの態度につながるのではと思います。スマおばあちゃんはイズミを全肯定してくれます。「坊はええ子」「気付いたときに直せばええ」おじいちゃんも遠慮なく言いたいことをいうが、だからこそ「お前はやればできる」という言葉が真実味をもって聞ける。ミチも「みんなが親切なのはあなたが親切だから」と言ってくれる。存在を全肯定される体験って、精神的に安定して生きていくうえで最も大切なこと。本来子供時代に養育者から与えられるはずのその全肯定を、全くの他人が与えてくれる。しかし彼らがここまでイズミを全肯定してくれるのは、「彼らが聖人君子で純粋」だからではありません。スマにとっては自分の子にしてこなかった贖罪なのではと感じます。イズミが冷蔵庫の中で札束を見つけた様子に、スマは息子を重ねてしまったのかな。「泥棒だったのか?」という言葉が出てしまう。元々泥棒のようなものだったイズミが「自分を泥棒と思われること」に大変なショックを受ける。きっと、スマの家に来たばかりの自分の人生を諦めている頃ならあんなにショックは受けていない。「どうせ自分は泥棒だし」と。イズミが罪をスマに告白するシーンでは、罪を犯したことを知ってなお「坊はええ子」「ここで待ってる」と言ってくれる。そんな風にどんな自分も肯定して待っていていくれる存在がいることを知った今、彼は逃げずに生きていけるようになった。何かを奪うために使っていたナイフを、スマを守るためにポケットに忍ばせたように。願わくば、スマにはあの夜中のシーンで息子にも「気付いたときに直せばええ」「あなたはええ子」「待っている」と言ってあげて欲しかった。私にはあの息子は、お金ではなく「別のもの」を求めて暴れて苦しんでいるように見えて悲しかったです。(だからといってお金を持って行ったり暴れるのはダメなんだけど)誰でもどんな人でも、心には暗闇や穴を持っていると思う。どれだけ幸せそうに見えても外に出さなくても、そうは見えなくても人間ならみんな。あの村に来る前のイズミには、自分以外の人はみな幸せに見えたのかな。「幸せなんだから、不幸せな自分はひったくりくらいしたっていい」と感じていたのかな。ミチからしたら「イズミは自由でうらやましい存在」でした。ただ、その「自由」の裏でどれだけ彼は心を踏みにじられてきのでしょう。そうはいっても、やはり自分が踏みにじられたからと言って人を踏みにじってはいけないのです。少年院でも上映会が開かれたそうです。心を溶かすものってなんだろう。どんな人でも生きていくと決めた以上は「これから」を考えなければならないし、「これまで」にとらわれてばかりいられません。全ての人が「あなたはあなたでいいんだよ」と言ってもらえる世界だったらいいのにな。3歳娘の伸びる心の芽を折らない親でいられるよう、「昨日の自分より少し成長した自分」「暮らしのQOLを向上させる」を目指しアレコレ挑戦しています。趣味、気づき、試行錯誤、娘の可愛さ等、好きな事を好きに発信していきます。記事の感想等はお問い合わせフォームからお待ちしております。3歳娘の伸びる心の芽を折らない親でいられるよう、「昨日の自分より少し成長した自分」「暮らしのQOLを向上させる」を目指しアレコレ挑戦しています。趣味、気づき、試行錯誤、娘の可愛さ等、好きな事を好きに発信していきます。記事の感想等はお問い合わせフォームからお待ちしております。 タイトル:「しゃぼん玉」原作は、ミステリー作家の名手、乃南アサの小説です。孤独な生い立ちから、犯罪を繰り返す青年がひょんなことから田舎に身を潜めるように。主演は若手演技派俳優の林遣都が熱演。大自然に包まれ、初めての愛情と安らぎを得た青年はどうなるのか?目次雨の夜、若い女性が通り魔に襲われた。男の名は伊豆見翔人(林遣都)、人生に挫折し女性や老人ばかりを狙う引ったくりの常習犯だ。長距離トラックの運転手を脅して逃亡するが、途中で蹴り降ろされてしまう。 老婆の名は、椎葉スマ(市原悦子)。たっぷり昼寝をした翔人が起きると、スマは怪我人とは思えないほど元気に立ち働いていた。 スマは、老齢で怪我人にも関わらず毎日達者に畑仕事に向かう。ある日、翔人が庭先でぼんやりと過ごしているところに1人の老人がやってきた。晩御飯の時に、翔人がシゲ爺を手伝うことになったと聞いたスマは「そりゃ、ええ!」と喜ぶ。 翌朝、まだ暗いうちにシゲ爺にたたき起こされた翔人。山は翔人が考えていたよりずっと大変だった。それから毎日、翔人はシゲ爺と山に登った。その夜、翔人は遅くまで針仕事をしているスマに気付く。 平家まつりも間近に迫り、シゲ爺と翔人は祭りの準備をするようになった。昔、この椎葉村は平家の落人部落だった。帰宅した翔人はスマに「黒木美知って子、知ってる?」と聞いてみた。 翌日、美知とまた作業ができると思っていた翔人だったが、あちこちから手伝いを頼まれて大忙しだ。平家まつり当日、携帯番号を交換した翔人と美知は祭りの途中で連絡を取り合い何度も落ち合った。美知を襲った通り魔は自分ではない。打ちひしがれ部屋にこもっていたが、夜中に空腹を覚え冷蔵庫の中を探った。しかし、そこにスマの息子の豊昭が突然帰ってきた。 翌日、翔人は美知と二人で祭りの行列を観に行った。その晩、翔人はスマに向かって静かに話し始めた。翌朝、迎えに来たシゲ爺の車に乗り込む翔人にスマはいつものようにおにぎりを渡してくれた。三年後、椎葉村はまた平家まつりの時期を迎えていた。 ミステリーが苦手だった私に、その面白さを教えてくれたのは、乃南アサさんの「幸福な小説」でした。乃南アサさんは、人間の怖い部分や恐ろしいほどの孤独の描き方が素晴らしいです。この主人公、翔人は愛情を知らず自分の欲だけを考えて生きてきました。翔人を演じた林遣都さん、瞳がとても印象的でした。ラストが翔人とスマが再会して喜び合う姿ではないのが、また良かった!音楽と本とコーヒー好きのアラフォーママです。育児で大好きなライブに行けないストレスをおうちでドラマ&映画鑑賞で発散しています。コンビニスイーツにも癒されております。コメント (0)トラックバックは利用できません。この記事へのコメントはありません。 Copyright ©

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