小川 橋本 真相 有田

『有田と週刊プロレスと』から始まるプロレス生活の「有田と週刊プロレスと Seazon1」の記事一覧です。『有田と週刊プロレスと』を見て始まってしまったプロレス漬け生活。番組の内容をベースにプロレスの情報を取りまとめることを試みたプロレスブログ。

有田と週刊プロレスとで、武井壮が蝶野に真相を聞いて有田も驚いたと言ってたなぁ。 どんな内容だったんだろう。 12 名無しさん@恐縮です 2020/04/28(火) 21:59:41.72 ID:hDvqNVxU0 制御週プロ2016年4月27日号 Noゲスト 表紙は内藤がベルトを持って左目を開いている。活字は「時代に風穴、やったぜ内藤!」今も大旋風を巻き起こしている『 その下に内藤がいた。No Limitと言うタッグチームだったが、リミットが来て解散してしまう(笑)内藤はエースになろうとするが、内藤は、29歳で20代最後のチャレンジをするが敗れてしまう。その代わりに外国人の不遇の内藤がついに1.4東京ドームで内藤はオカダに挑戦する。しかし、同日新日からとんでもない提案が、どちらがメインイベントかファン投票をすると発表した。なんと、棚橋vs中邑がメインになる。さらに、内藤は試合でもオカダに負けてしまう。内藤不遇の時代は続いてしまう。内藤は何もしていないのにプーイングが起こるようになる(原因は不明)ある時、内藤がメキシコに行き、ロスインゴという団体の影響を受け、あまり世間を気にしなくなる。なかなか入場しなかったり、対戦相手にツバをかけたり、「誰にも媚びない」スタイルを貫く。この頃からロスインゴ内藤がファンから支持されるようになる。このような歴史を経て、内藤はついにオカダに勝ち、ベルトを獲得した。すると内藤はベルトを見て、ベルトを投げ捨てて帰る衝撃のシーン。今まで、IWGPに縁が無かったが、今を見てみろ、「ベルトが俺について来る」と言う名言を残す。 【教訓】くさらずに歯を食いしばって頑張っていればいつかはチャンスが巡ってくる  

モリモリチャンネル放送局! 猪木から小川への指令説. - Duration: 6:18. Powered by 引用をストックしました引用するにはまずログインしてください引用をストックできませんでした。再度お試しください限定公開記事のため引用できません。 547,542 views soot323tied771さんは、はてなブログを使っています。あなたもはてなブログをはじめてみませんか?

有プロ#1鑑賞後のレビューです。武藤vs高田、長州vs安生、健介vs垣原どれも名勝負です。

プロレス界を揺るがした大騒動『TPG事件』前編ゲスト 表紙は 有田曰く複雑な事件。全く分からない  study! 今回の事件の頃は、正規軍、シーズン1No23でも話があった、前田が  ようやく、復帰しそうになった頃新日本に不思議な影が、、 12.27藤原vs長州は『名勝負数え唄』とたけしが 【教訓】予習をして 無駄になることはない   1999年1月4日の東京ドーム大会。武藤vsノートンのIWGP戦がメイン。大仁田vs健介や新日本vsUFOの対抗戦が組まれた。この大会で一番インパクトを残したのは煽るだけ煽った大仁田の新日本初参戦ではなく、橋本を戦意喪失に追い込んだ小川直也でした。この試合では何点か何度も語られるポイントがあります。あらましは、小川はスタンドで、一方的に橋本をストレートで打ち抜き、グラウンドでも鉄槌を落とし、おおよそプロレスらしい展開を見せずに、ノーコンテスト決着。試合後は新日本勢が大挙してリングに雪崩れ込み、加害者の小川を取り囲んだ。小川のボディーガード役の村上はこの乱闘下で新日本勢に暴行を受け、病院送りに。最後は当時引退中だった長州がリングに上がり、事態を納めた。そもそも危険な存在なのは間違いないんですが、これだけの乱闘でもゴルドーは怪我ひとつなし。村上とは対照的。新日本勢は手が出せなかったのか、たまたまなのか真相は分からず。。。平成維震軍所属で、新日本本体と敵対していた小原が乱闘に乗り込み、リング中央に陣取った。喧嘩新日本最強説を裏付ける挙動を見せたが、のちのPRIDE参戦では最強までは証明できず。それでも肝が座った立ち振る舞いは、相当鼻っ柱が強かったんだろうと予想されます。猪木が大仁田に嫉妬した説、佐山黒幕説、小川の混乱説色々ありますが、小川と猪木と、そして橋本もこれについてハッキリとした証言はされていません。2019年の蝶野のコメント。事情はどうあれ応戦してほしかったと、私は当時思ってました。「バキ」じゃないけど、椅子でもナイフでも、狂気が見たかったけど、それは実現せず。格闘家として強いかどうかはどちらでも良かったけど、本当のノールール下での幻想だけを守ってほしかった。橋本選手は単なるケンカではなく、何かを見せないといけないという思いがあったのかもしれない。若い頃の橋本選手ならやり返していただろう。でも、注目されている試合で、リングに上がったからには何かを成立させないといけない。その責任感が強すぎて、ああいう形になったんだと思う。結局これってなんだったんでしょうね。平成プロレス史の一大事件だったのは間違いないんですが、まだまだ真相は藪の中。この事件の後、しばらく続くプロレスの低迷期のきっかけだったのは間違いないと思います。多くのプロレスファンはPRIDEに流れ、桜庭に夢を託すことになりました。そういった大きな畝りを生んだ大きな大きな根っこでしたね。スポンサードリンクシェアするフォローする © 2020 foto Blog All rights reserved.

Powered by 引用をストックしました引用するにはまずログインしてください引用をストックできませんでした。再度お試しください限定公開記事のため引用できません。 小川興奮剤説・・ … SHARE2019年もあと僅かになりました。もうすぐお正月ですね。皆さんはどんなお正月を過ごしますか?ゆっくり休む人もいれば働いている人も。お正月、休めるのは仕事をしている方たちのおかげです。感謝します。さて、私の正月の過ごし方は新日本プロレス東京ドーム大会 新日本プロレスワールドで視聴します  新日本プロレスといえば東京ドーム、東京ドームといえば新日本プロレスなんですが(笑)その前に最近プロレスファンになった方に是非見てもらいたいのがアマゾンプライム・ビデオの「有田と週刊プロレスと」今の新日本プロレスのルーツがわかるとともに有田哲平のプロレス愛を感じます。関連記事歴史のある東京ドーム大会ですが、20年経った今でも謎多き試合があるんです。それは目次1999年1月4日東京ドーム橋本真也vs小川直也なんです。結論から言うと小川直也が橋本真也にガチンコをけしかけた試合でその理由が諸説紛々。小川直也氏 Wikipediaより出典 橋本真也氏 Wikipediaより出典 これはプロレスファンなら何日でも語り尽くせる話題なんですよ。そもそもプロレスのビッグマッチを東京ドームで行うという発想は有田さんも言ってますが、当時新日本プロレス会長、アントニオ猪木の提案だったんです。それまでプロレス団体のビッグマッチは新日本は蔵前国技館、両国国技館、全日本プロレスは日本武道館と大体決まっていました。東京ドームを満員に、それもプロレスで、という発想はアントニオ猪木しか出来ないでしょうね。そのおかげげで正月の新日本プロレスファンのあけましておめでとうは1月4日に定着したんです(笑)話は橋本対小川に戻ります。知ってのとおり小川直也はバルセロナオリンピック柔道95キロ超級銀メダリスト。他にも世界柔道選手権金メダル4個、銅メダル3個の柔道王。プロレスデビュー戦からずっと柔道着を着て試合をしていたのですが、東京ドームの花道に現れた小川は別人でした。引き締まった身体にストロングスタイルの象徴である黒のショートタイツ、脚にはUWF系選手がつけるレガース、手にはオープンフィンガーグローブ。柔道家から総合格闘家に変わっていました。入場時から小川の顔つきがいつもと違うと思っていました。それまでは覇気を感じない表情だったのが目つきが明らかに違う。ゴングが鳴った(はず)あと、全く橋本の動きについていかない。プロレスの暗黙のルールを明らかに拒否していました。そして得意の投げから橋本の顔面に強烈なマウントパンチの嵐、そしてフラフラと立ち上がった橋本の顔面に強烈なサッカーボールキック。橋本は戦意喪失、ダウン状態だった。確かここで一旦ゴングが鳴らされたと記憶しています。小川直也がコーナーポストに登り「新日本プロレスの皆さん、目を覚ましてください!」とアピールしたのを鮮明に覚えている。テレビ中継でもアナウンサーと解説者も動揺を隠せない感じでした。無効試合をレフェリーが宣言すると同時に新日本プロレスの選手がなだれ込み小川を取り囲んだ。派閥や軍団関係なしに。これを見て誰かがガチを仕掛けたな、と感じました。これはあとでわかったのですが小川と同じUFO所属の村上和成が病院送りにされていたこと。これは尋常ではない。果たしてこの試合を仕掛けたのは誰なのか?等々諸説があるがどれも確かではないんです。だけど私は長州力は違うと思う。有田哲平も言ってますが、当時新日本プロレスの現場監督だった長州がリングに上がることは余程のことがない限り無かった。その余程のことが起きてリングに上がり小川に 次の記事 小川vs橋本の事件について語ります。「橋本がガチンコで負けた」という見方もありますが、ガチンコという試合でもなく、事件性の方が高いようにも見えます。佐山の言葉や金澤元編集長の言葉にヒントが隠されているように思えます。 プロレス自体はあまり上手じゃありませんでしたけど、プロレスってちょっと特殊で、プロレスリングがうまくなくても、空気感だったり、キャラクター設定なども、広くいえばレスラーとしての能力なので、そういう意味でいうと小川直也さんは凄くプロレスセンスのあるレスラーでした。ぎこちないが故に、ガチンコか演技か分からないような空気を出すのがうまくて、2000年代はそういう格闘技風プロレスが新日で流行っていた記憶があります。プロレスのベストバウトはどれでしょう、川田利明戦か …


史上最大の『1.4事変』前編週プロ1999年1月21日増刊号 No895ゲスト 表紙は小川がリング上で叫んでいる写真に「猪木亡霊」の文字が・・ 新日は、蔵前 study!1989年4月プロレス界の先陣を切って 猪木が集客を考えた目玉は「 study!メインイベントは まさか、猪木がKO負けをした。 第2回は1990年2月。 プロレスで新日東京ドーム1/4開催は(イッテンヨン)と呼ぶ。これをプロレスファンは年明けとする。この時に毎年、目玉企画で集客していたが、ネタ切れを起こしつつあった。 柔道銀メダルの小川が橋本とメインイベントをした。次の目玉は、まずは大仁田がタバコを吸いながら入場、試合は大仁田が火を使って反則負け。事件はこれではなかった!事件は目新しさの無くなった橋本vs小川戦だった。小川はUFO所属。この事件は、有田曰くまさに「続きは次回。 【教訓】無し いい大人が休日にする暇つぶしを考えるブログフォローする
『TPG事件』の核心に踏み込んでいく!TPG事件の後半シーズン2No1から見て下さいゲスト  study!1987.1.27YEAR END IN  1.27にTPGが参戦。プロレスとお笑いどうなるのか?テレ朝は少し前から、「ギブアップまで待てない!! ビッグバンベイダーがTPG所属になり、デビュー戦が藤浪、木村vsビッグバン、とメインは猪木vs 1.27ついに猪木「やってやるぞコノヤロー」お客さん駄目だよ、やるの?という雰囲気の中、何故か、メインが猪木vsベイダー。有田曰くプロレス史上最も悲しい試合、藤浪木村vsファンが待ち望んだ猪木長州戦、猪木は何故かいきなり顔面をナックルパンチ、次に疲れた猪木vsベイダー、なんと2分49秒で、猪木が負けてしまう。ファンがあっけに取られてしまう。田中リングアナ「今日の試合はこれで終わりですお帰りください」ファンは帰らない「ふざけんな!猪木出せ!」この後、ファンが暴徒化、この後、猪木が出て来て「アリガトー」それでまたふざけんじゃねえと火に油を注ぐ。猪木ほどのカリスマでもおさまらなかった。その後、新日は 【教訓】要注意 カリスマでもすべる時もある