町人髷 武士 髷
髷がイラスト付きでわかる! 日本の伝統的髪型。 概要 日本の伝統的な髪型。主に近世(安土桃山時代~江戸時代)に男女共に結っていた髪型。ここでは主に男性の髪型について解説する。女性の髪型は日本髪を参照。 基本は伸ばした髪を後頭部で結い上げる構造。 商人や町人などが結っていたとされる小さめの髷. 商人は客商売ということもあってか、小さな控えめな髷を結った。正面からはちらりとしか見えない髷先などは頭から落ちかけているような状態で、髷尻もぽっちりとして短く小さい。一方その息子の若旦那などは細く優美な一方、伝法肌の職人は、髷尻短く反りあがり、全体に太短い髷は先を散らして男っぽく結い上げる。逆にすっきりした髷が好みの職人は細い髷にして刷毛先を粋にちょっと曲げてみたりなどもした。髱は、袋付と言って、下に膨らませる場合が多かった。 武士と町人の髷の違い。 柴田錬三郎の小説に、幕末、左幕派の武士が官軍から逃げ回る時(だったかな?)、「月代を剃り広げて町人風にして云々・・。」という表現がある。 小銀杏. 6~8歳くらいまでは少女も現在は祭りで若い女性が扮する場合が多い ちょんまげの由来は?江戸時代どうして武士は「ちょんまげ」をしていたの? ちょんまげは、江戸時代の男子の髪型(かみがた)として有名でした。 「ちょんまげ」は、今では日本の相撲(すもう)でしか、見ることができなくなっています。 外国人が衝撃を受けた日本人の髪型「ちょんまげ」ですが、これっていつから始まったんでしょうか。一般的には侍の髪型として認識されていますよね。でも、江戸時代とかは男性はみんなこんな感じだったような気がします。時代劇を見ると、みんなちょんまげじゃないかと思うのです。ちょんまげの起源について、見ていきましょう。実は、髷(まげ)があるものすべてがちょんまげというわけではないのです。実際のちょんまげというのは、江戸時代に髪が少なくなった老人がやる小ぶりな髷のことでした。髷の形が「ゝ(ちょん)」の字のように見えたからです。髷の結い方などは様々なスタイルがありますが、これは後述しますね。生え際から頭頂部にかけての髪を剃るか抜くかした月代(さかやき)に加え、後頭部の残りの髪を髷として結い上げた、ちょんまげの起源的なスタイルは、平安末期からあったという説もあります。そして、戦国時代になると武士の間で大流行しました。兜が改良され、頭に密着しより防御力が高まったために、頭が蒸れるようになってしまったのです。そのために、髪を剃るようになったのだそうです。江戸時代になると、武士だけでなく庶民もこぞって月代を作った髷を結い始めるようになりました。ただ、この時に身分階級が定められたように、髪型も身分によって違いがありました。特に、後ろやサイドの部分をふくらませるようにして結った「野郎髷」というスタイルが多く見られます。浪人などは月代を作りませんでしたが、これは単にお金がなかったためであるとか、主君を持たないため兜を被る機会がない(=戦に出る機会もない)ということの表れであるとも言われています。髷の結い方にも幾つものパターンがありましたが、代表的なものをご紹介します。江戸時代にいちばんポピュラーだったのは、銀杏髷というものです。髷を折り返した先を銀杏の葉状に広げているためこのように呼ばれます。身分によって多少の違いがあり、武士は髷を長く月代を狭くしました。町人は小銀杏と呼ばれるスタイルで、商人は銀杏をより小さめにし、職人は太く短めにして男性らしさを強調しました。月代を非常に広くし、髷をネズミの尻尾のように細くしたものです。柔和な印象を与えた髪型で、吉原の遊郭に出入りするならこの髷でないと相手にされないと言われたほど、「粋」の象徴でした。江戸時代には見られないものですが、若かりし日の織田信長のヘアスタイルとして有名ですね。月代を作らず、髪を紐で巻き立てて毛先を茶筅のようにツンツンさせたものです。前述の通り、この髷の結い方は厳密なちょんまげの分類には入りません。1871年(明治4年)の明治政府による散髪脱刀令の布告と、2年後の明治天皇の断髪によって、ちょんまげは激減しました。ただ、現在でも髷を結うスタイルは大相撲などに残っています。髷の結い方にも色々なスタイルがありましたし、今も昔も髪型でおしゃれしたいのは同じなんですね。となると、女性はどうなのかなとも思いますが…それは機会があれば次回、ということでお願いします。歴史と犬の話題があれば生きていける、そんな人間です。Copyright © 上の絵のような感じのオーソドックスなタイプの髷。 武士達が月代を剃り、髷を結うことを日常としたことで、町人達にも丁髷スタイルが広がっていきます。しかし、武士達がしているかっちりした丁髷をしゃらくさいと嫌った町人達は独自のおしゃれを楽し … 髷尻が短く髷自体も短くて細い。髷先を軽く広げ月代の広いサッパリとした「細刷毛小銀杏」がそれで、町人とも武士とも見分けがつきにくい(現代でいう、私服姿の捜査員である)。 なんと、下級武士を凌ぎ、御家人クラスの俸禄だったとか! また、髪結いが与力の家に訪れて、独特の髷(まげ)を結ったりと、なかなかいい暮らしをしていたようです。 武士や力士など、力強さや迫力をだしたい方にピッタリ! 確かに銀杏に似てる! 力士 遠藤.

(現在一般に「ちょんまげ」と呼ばれるのはこの髷のことだが、本来の「武家の男髷の特徴は、髷が長く、月代は狭く側頭部の生え際(小鬢)を自然のままに残す、野暮の代名詞である「浅黄裏」をはじめ、一部のしゃれ者を除いた武士の多くには武士ではあるが、町人の中に住まって犯罪捜査に従事する「不浄役人」の与力はもっと町方風の粋な銀杏髷を結っている。髷尻が短く髷自体も短くて細い。髷先を軽く広げ月代の広いサッパリとした「細刷毛小銀杏」がそれで、町人とも武士とも見分けがつきにくい(現代でいう、私服姿の捜査員である)。同じ街中で暮らすにしてもいわゆる「江戸っ子」は髪形に気を使っていて、いつもきれいに剃りあげようと散髪屋に足しげく通ったために散髪屋が社交場になるほどだった。彼らの好みはやはり「小銀杏」だが、ここでも職業によって微妙に違いが見られる。 銀杏髷(いちょうまげ) 江戸時代にいちばんポピュラーだったのは、銀杏髷というものです。髷を折り返した先を銀杏の葉状に広げているためこのように呼ばれます。 身分によって多少の違いがあり、武士は髷を長く月代を狭くしました。