祖父母殺害事件 母親 現在
2014年3月29日午後0時50分ごろに埼玉県川口市西川口2丁目のアパートで、当時17歳の孫がお金欲しさに祖父母を殺害し、キャッシュカード1万数千円を引きだし、強盗殺人の罪で15年の懲役刑になりました。この内容については、毎日新聞記者・山寺香が書いた『誰もボクを見ていない』(ポプラ社)に載っています。(私は読んだことがありませんが) 当時私は遊ぶお金欲しさに高校生の孫が祖父母まで殺したのかとショックを受けましたが、内容はかなり違っていたようです。 本日は映画MOTHER(マザー)のモデルとなった実話、祖父母殺害事件について見ていこうと思います!埼玉県の川口市で起こった事件。当時17歳だった少年(映画内では周平)が、母親の立川千明の命令により起こってしまいました。事件を調べると、とんでもない事件だったのです。事件の概要と、17歳少年と母親のその後、現在の様子まで調査してきました!目次映画マザーのモデルとなった実話の事件概要を見ていきます!概要を知っている→埼玉県川口市で老夫婦が殺害されているのが発見されます。老夫婦には段ボールが掛けられており、キャッシュカードが奪われていたことが発覚。その後防犯カメラなどの映像から、老夫婦の事件もすぐに発覚し、少年は2014年5月20日逮捕されることなります。事件現場のアパート(引用元:当時は非行に走る少年が起こした事件として大きく報道されていましたが、1996年に生まれた少年は当時両親と暮らしていたのですが、10歳の時に両親が離婚。その後母親はホストクラブに通うようになり、ホストを追って1か月も帰ってこないこともあったと言います。母親はそのホストと再婚し、仕事の関係で静岡県に行くのですが、しだいに仕事をしなくなり埼玉県に戻ってきます。この時に住民票を移さなかったために家族はこれを機にホテル生活をし、お金が無くなると、ホテルの敷地内でテント生活。少年は学習意欲が当時からありフリースクールと呼ばれる学校にも通えたようですが、母親は他人からの干渉を嫌い行かせなかったと言います。このことは映画マザーの1シーンでも取り上げられていました。この間少年は母親から、様々な虐待などを受けてたそうです。少年が16歳の時に再婚相手のホストが失踪すると、母親は働かずに、少年のお金で遊び倒していたようですね事件後母親と待ち合わせた公園(引用元:隅元ゼミ調査報告)母親は遊ぶ費用の為に、少年に会社から前借するように要求しますが、会社の前借も限界がきて借りれなくなってしまうのです。このことで困った当時母親の立川千明は、命を奪うように指示はしていないと言っていたようですが、この発言は却下されたようです。仕事も見つかり、社会復帰できたかもしれない子供を、犯人に陥れた事件。とんでもない母親ですね。母親の立川千明ですが、その後裁判が行われ、第1審の判決だったのですが、控訴しなかったので、罪はそのまま確定したということです。つまり現在の居場所はさすがにわかりませんでしたが、偽名を使って暮らしているのではないでしょうか?もし映画マザーの存在を知ったとしたら、モデルとなった事件を自分が起こしてしまったことに対して、どのように思うのでしょうか・・・映画マザーでは周平という名前で演じられている少年ですが、現在も刑務所で、映画マザーの公開時にも刑務所にいるということですね。長年かけて真面目な少年を洗脳し続けてきた母親ですが、それでも少年にとってはたった1人の母親です。何とも悲しい事件ですねその後少年は「同じ境遇の子たちのため」として、本の制作に協力しているようです。その本がコチラ⇓ この本を作る時の少年の言葉として、このような言葉が手記されているようです。必死の思いで制作したこの本で、救われる子供たちはたくさん現れると思います。そんな映画「MOTHETマザー」では主役ともいえる少年の役を、16歳俳優”奥平大兼”さんが演じます。奥平大兼さんは映画初出演だということですが、抜群の演技力で長澤まさみさんも大絶賛。今後も期待の俳優さんです!映画MOTHER(マザー)モデルとなった祖父母殺害事件は、母親の方がひどい印象を受けますが、その後の裁判で実行した少年には重い刑が科せられたようです。現在少年は刑務所、母親は刑務所で問題を起こしていなければ、外に出てきているようです。最後まで読んでいただいてありがとうございました。©Copyright2020 本日は映画mother(マザー)のモデルとなった実話、祖父母殺害事件について見ていこうと思います! 埼玉県の川口市で起こった事件。 当時17歳だった少年(映画内では周平)が、母親の立川千明の命令により起こってしまいました。 事件を調べると、とんでもない事件だったのです。 2020年7月に公開の 映画『mother マザー』は、実際に起こった事件「埼玉川口市祖父母殺害事件 ... 少年・母親に下された懲役. 母親が少年に、祖父母の殺害を唆したとされる場所 「大人に対しては、疑う心しかありません。自分(少年)に対して得なことを差し出してくる 祖父母を殺害してしまったことで混乱した少年は、金銭を盗らずにそのまま近くの児童公園で待つ母親と妹のところに戻ってきてしまった。しかし母親から金を持ってきてないことを問い詰められ、もう一度事件現場に戻り、キャッシュカードやカメラなど金目のものを持ち出してきたということである。現金は近くのショッピングセンターのATMで下ろした。 隈本ゼミ調査報告江戸川大学メディアコミュニケーション学部隈本ゼミの学生が社会問題について調査し報告します。 新聞がたまっているのを不審に思った家主からの連絡で、親族がアパートを訪れて2人の遺体を発見した。遺体には段ボールがかけられていた。                   少年は1996年に埼玉県で生まれ、最初は両親と3人で暮らしていた。 ところが少年が10歳の時に両親が離婚。その後、母親が再婚し、義父と暮らすようになったが、その暮らしは、普通の生活とはまったくかけ離れたものだった。 母親と義父は、旅館での住み込みの仕事を見つけて静岡県西伊豆町に引っ越し、この町で住民登録をした。しかし、しばらくして両親とも働かなくなり、一家は住民票を西伊豆町に残したまま埼玉県に戻ってくる。転居届などの手続きはされなかったため、少年はこの時点でいわゆる「居所不明児童」となった。 一家は、さいたま市のモーテルで生活したり、お金がなくなると、その敷地内にテントを張って暮らしたりするという異常さだった。生活費が足りなくなると、母親は、少年に親戚のところに行かせ、金を無心させていた。少年は行政の目の届かない「居所不明児童」で、住民登録がないため当然学校にも行くことができなかった。 そんな中、妹が生まれた。一家は、生後数か月の妹を連れながらも、やはりホテル泊や野宿を繰り返していった。 途中、神奈川県横浜市で、生活保護を受給し、簡易宿泊所に住居を持っていたという時期もあったが、それも長くは続かなかった。この時期、少年はフリースクールに通うことができたが、母親がそうした周囲からの干渉を嫌い、簡易宿泊所を出たため、フリースクールも辞めざるを得なかった。 その後は義父の働く会社の寮で暮らし始めたが、義父が失踪。少年自身がその塗装会社で働くようになった。 結局、いくら働いても母親の浪費によってお金はなくなり、給料の前借りも断られるようになったため、一家3人の生活はさらに困窮していく。 追い詰められた少年は、母親の命じるままに祖父母殺害事件を起こしてしまった。  事件当日、少年は1人で祖父母の家を訪れた。母親と妹は近くの児童公園で待っていた。 いきなり借金を申し込むと家に入れてもらえないのではないかと思い、「建設会社への就職が決まった」と嘘をついて、アパートの中へ入れてもらったという。 最初、少年は、祖父母を殺害をしないで金を得る方法を模索した。 祖父母には「就職にあたって引っ越し費用が必要だ」と嘘をつき、金をかりようと持ち掛けた。ところが祖父は厳しい態度で「金は貸さない、あの女(母親)にもそう伝えておけ」と拒絶した。 この時点で、少年は”家族を食わせていくためには殺すしかない”と犯行を決意したという。 最初に祖母をキッチンに呼び出し、延長コードで首を絞め、包丁で刺し殺害。次に祖父を背後から包丁で刺し、殺害した。   ATMの防犯カメラの映像から、少年の犯行はすぐに発覚。2014年4月29日、少年は別件の窃盗容疑で逮捕された。 そしてその後の取り調べで祖父母殺害について自供し、5月20日、強盗殺人容疑で再逮捕された。2014年4月29日には母親も逮捕された。 2014年6月24日の1審の初公判で、母親は「母親から殺害を指示された」という少年の供述を否定したが、事件前に彼を追い詰めるような発言をしたことは認めた。2014年9月19日、母親には、懲役4年6か月の判決が言い渡された。控訴しなかったため判決はそのまま確定した。 2014年12月15日、1審・さいたま地裁で裁判員裁判による初公判が開かれた。少年は犯行を認めており、争点となったのは、①母親からの殺害指示があったかどうか、②大人と同じように刑事処分をすべきか、それとも保護観察処分とすべきか、という2つの点だった。 同年12月25日、1審判決が言い渡された。懲役15年。 裁判で争点となっていた殺害指示については、母の言葉は借金を確実にさせるための追い込みの言葉に過ぎず、具体的な指示はしていないという判断だった。弁護側は不服として控訴した。 2015年6月17日、2審・東京高裁での初公判が開かれた。控訴審でも母親による殺害指示があったかどうかが争点となった。 同年9月4日に2審判決。判決は母親の証言の信用性に強い疑念が残るなどとして、少年側の主張を認め「母親からの殺害指示はあった」と判断した。ただし量刑については、懲役15年と、1審判決を見直さなかった。 少年は「判決内容に不満はないが、前例を作って、自分と同じような境遇の子供たちがいたら、少しでも生きやすくしたい。」と上告を決めた。   この事件が、よくある少年事件とはまったく違うことを、毎日新聞さいたま支局の山寺香記者は気づいた。そしてすべての公判を傍聴、これまで少年に関わってきた大人たちにもていねいに取材し、その犯行までの極めて壮絶な状況を連載記事として報じた。 さらにこの少年に対して社会からの救いの手がまったく届かなかった問題に焦点を当て、さらにこの少年の将来の社会復帰に向けて支援の輪が広がっている現象も取材し、一冊の本にまとめた。   山寺記者からのメッセージは、音楽家の岩室晶子さんとシンガーソングライターの松井亮太さんにも届いた。 少年は裁判の中で、強盗殺人事件を犯す前日、JR北千住駅前の大型ビジョンに、松井亮太さんが作詞作曲した曲「あかり」が流れているのを聴いたこと、事件後に逃走先のホテルで検索をしてもう一度この曲を聴いたことを明らかにしており、「もっと早くこの唄に出会いたかった」と述べた。 「あかり」は内閣府の「いのちを支える(自殺防止)プロジェクト」のキャンペーンソングで、当時日本中で流されていた。   2019年7月14日、横浜にあるシェアリーカフェで、コンサートが開かれた。 刑務所内にいる少年の詩に、シンガーソングライターの松井亮太さんが曲をつけた『存在証明』という新曲の完成披露コンサートである。 ステージには同じく少年の支援者である音楽家の岩室晶子さんと松井亮太さん、そして山寺香記者が上がり、この曲ができるまでの経緯を語った。 松井さんは、山寺さんから、少年の事件を起こすまでの背景を聞き、手紙で獄中の少年とやりとりをする中で、この曲を作ることを思いついたのだという。 いままでは人を信じる事ができなかった彼が、これから刑期を終えて社会復帰するのにむけて、一緒に曲を作りたい。そして制作の大変さも含め、曲が出来上がった時の喜びを共有することで、少しでも少年のこの先の力になれたらと考えたという。 松井さんと岩室さんは、少年が服役している刑務所で慰問コンサートを開いたというエピソードも紹介した。 そして新曲『存在証明』が披露された。     生まれた時点での住民登録はあるが、乳幼児期の健診や義務教育を受けたという記録がなく、行政や福祉の立場から連絡や接触が図れないでいる子どものことである。 自治体の担当者もその安否を把握できない。「所在不明児童」とも呼ばれている。 児童相談所は、なぜ彼のことを把握できなかったのか。 児童相談所は、子供に関する問題を解決するための専門の相談機関である。児童福祉士(ソーシャルワーカー)、児童心理士、医師といった専門スタッフがおり、保護者への助言や継続的な相談を行うほか、虐待などが疑われる時には子供を一時保護して安全をはかることもある。 全国の児童相談所には、問題を抱えた子供のデータを共有するためのシステムがなく、(資料をファックスで送るだけというのが現実であった)こうしたことが、多くの虐待事件が防止できない問題点として指摘されている。   ゼミ生たちの感想を紹介します。 ▲事件の背景を調べる前と調べた後で、この少年に対する印象が大きく変わった。初めて事件現場を訪れた時、実の祖父母を殺害したという事実が衝撃的で、少年に対する恐怖を感じた。しかし、山寺記者の本を読み進めていくうちに、少年の性格や家庭環境を知り、少年だけが悪いわけではないのだとわかった。事件のことをよく知らない人にとっては“母親に命じられた少年が祖父母を殺害した”という受け止めになるのかもしれないが、背景を調べてきた私達にとってこの事件は、そんな単純なものではないことがわかった。すべての犯罪には必ず何かしらの背景があり、ニュースで報じられるのを見ただけでは分からない本質が隠れているというのを学ぶことができた。そしてその中には、社会が対処していかなければならない問題が含まれている場合も多い。今回の事件で言えば、貧困や虐待、居所不明児童の存在などである。まずは“知る”ということが大事であり、事件の背景を取材することはとても意義のあることだと感じた。▲少年の事件を担当した裁判長が「事件を起こす前にだれか手を差し伸べられなかったのか」と述べたという。確かに少年が事件を起こすのは、家庭環境の問題が大きかった。だが私は人間として超えてはいけない線というものを誰もが持っているはずだと思う。それを超えてしまった少年に、誰かが手を貸せば犯罪をしなかったと簡単に言ってはいけないのではないか。酷なようだが、私は犯罪を犯す人は犯すし、犯さない人は犯さないと思っているし、今回、この事件を取材してもその考えかたが変わることはなかった。しかし、少年犯罪を起こす人が、どうしようもない人間ばかりでもないことも分かった。今回の取材がなければそのことを知ることはできなかった。取材をしてよかったと思う。